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パレスチナという国ではなく、略奪された場所について

ポレポレ東中野で、「ルート181」を観た。パレスチナ人の監督と、イスラエル人の監督が共同で監督、編集した作品だ。四時間半の映画には二回の休憩があり、僕は二回目の休憩で映画が終わったと思って帰りそうになってしまった。映画はSouth,Center,Northと三部で構成されている。
 この映画を観る前に、岩波新書からでている広河隆一さんの「パレスチナ」を読んでいたのでイスラエルの非人道的な背景を知って観ることができた。より複雑な背景を知るには、より多くの文献にふれなければいけないと思うが、問題意識を持つとということでは良い入門書であった。
 この映画の数ヶ月前に、「ガーダ・パレスチナの詩」という映画を観た。その中で、パレスチナ難民の人々が日々の生活で抑圧されながらも明るい表情で生きようとしている姿を見た。古居みずえさんのカメラからは、素朴な生活の中の喜びに共感し、それを抑圧することへの怒りがにじみ出ていた。
 僕は、それまでイスラエルという国について全く知識がなく。中東戦争についても、歴史の教科書で、数行の文章での知識しかなかった。「ガーダ」によって、土地を奪われる人々を目の当たりにした。この現在の侵略国家が国際的に認められているということの恐ろしさを実感した。アメリカの古くなった武器を、途上国に売りさばき、パレスチナを抑圧してきたことを、実績にとして武器を売ると同時に、どうやって国民を抑圧していくかをも教える。というような話が「パレスチナ」にはかかれている。宝石を、武器と交換でアフリカから大量に輸入して、日本に売りさばく。ダイヤモンド消費国日本は、間接的にアフリカの戦争に関わっている。こうした複雑な、矛盾を飲み込んだ場所がパレスチナという場所である。今は植民国家、イスラエルが全てを破壊して何食わぬ顔でいる。最近の1980年代に、この国家は、パレスチナの人々に対して大量虐殺を行っている。日本も含めた国際社会は、そのときどう対応したのだろうか?
 帰りそうになったのは、うっかりしていただけである。映画の内容は、ロードムヴィーの形式をとりながら、様々な場所を訪れて、様々な風景とそこに暮らす人々に問いかけていく。この映画は、ゆっくりと車窓からの風景を見せながら、時には唐突に道を聞くと同時にインタビューしていく。イスラエル建国記念館のような施設や、貯水博物館?のような施設(治水こそ、国を治める上で大事であるから。略奪された資源の一つといえる)に訪れる人、その施設の人に、話を聞いていく。時には、荒れた土地で測量している若者に、「ここは昔アラビア語で・・・という村があったんだよ。知ってた?」と聞く。アラブ系ユダヤ人(と思われる)青年は「最高にダサイね。」と言って興味を示さない。「僕たちは、メンタリティは西欧に近い。」と言い切る。
一方、イスラエルでゲットーと呼ばれる地区を訪れて、同じ国籍でありながら差別を受け続けている人々の話にも耳を傾ける。遺跡を発掘する、人々のボスはイスラエル人で、現場作業員はパレスチナの人々だ。こういった様々な様相を、ロードムヴィーという速度で観ると、イスラエルに横たわっている不可解なものが少しずつ見えてくる。

 季刊「前夜」別冊でルート181が特集されている。その中で、イスラエルの監督は「イスラエルでは、記憶そのものが忘却のプロセスなのです。」と言っている。強烈なイデオロギー国家として、神話的要素と歴史的要素(ユダヤの神話の世界と、アウシュビッツの歴史)を融合させて、この地を略奪したことを正当化する。
 さて、この話は遠い中東の話で終わるのだろうか?国家として日本を観たときに他人事でいられるだろうか?このご時世からすると、そうはいかないだろう。
学校では、アウシュビッツでユダヤ人が殺されたことしか教わらない。しかし、シオニズムというユダヤ人の思想は20世紀の初頭に生まれ、戦後にパレスチナという場所にて実践された。アウシュビッツという悲劇を端緒にして、ユダヤ国家をつくろうとして入植と呼ばれる、植民地化がパレスチナで始まった。国際社会、特にアメリカ、イギリスとの関係が深いイスラエルは堂々と虐殺を行ってきたと言える。そして、日本人の多くははその歴史を知らないくとも平和にアメリカに守られてきたといえる・・ 
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by barubuhutatabi | 2006-09-30 12:07 | 映画

山形ドキュメンタリードリームショー  ポレポレ東中野にて

「Justice」という映画を観た。ブラジル社会の小さい犯罪を扱う裁判、拘置所、裁判官の日常、公選弁護人の日常、犯罪者の家族の日常に、カメラはごく自然にまなざしを向ける。ブルーがかった裁判の部屋、一辺10メートルの牢獄に40人近い収容部屋、町の交差点で車ガ停車している間に、ジャグリングを披露して小銭をせびる少年と少女、執行猶予付きで釈放された少年が拘置所から一人帰る、ある裁判官が最高裁の裁判官に抜擢される、その裁判官の担当だった容疑者のギャングの最終判決を、新米の裁判官が書類だけで判断して判決を言い渡す、裁判を半年待ったギャングが懲役三年の判決を受ける、そのギャングには子供が生まれた、家族は泣き崩れる。
 ブラジル社会の底辺の拘置所での面会場面は、本当に狭い部屋ニぎゅうぎゅう詰めで面会していた。裁判所では、小さい部屋で、裁判官と検察官と公選弁護人、証言者などが小さい犯罪を前に、淡々と裁判を繰り広げていく。カメラは、落ち着いた構図で物事の経緯を見つめている。一番印象的だったのは、薬の密売で執行猶予付きで保釈サレタ少年が一人で高架下を歩いて帰る後ろ姿と、バスを待つ裸足がとても印象に残った。全ては社会的な構造は放置されたまま、ジャスティスという名の周辺で起きている日常にすぎないのかもしれないと感じた。
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by barubuhutatabi | 2006-09-29 00:27 | 映画

映画をあきらめない

 代々木のオリンピック青少年総合センターで、有機農業に関する映画を観た。タイトルは「いのちを耕す人々」映画の舞台は山形県高畠町だ。ここの有機農業は、農家であり、詩人でもある星寛治さんを中心に早くから試みられてきた。1970年代初頭の米の生産をあげるために化学肥料や農薬の散布が全国的に展開されていた頃に、非効率的な有機農業を志したのである。人体への影響を懸念するだけで始めたのではなく、農業そのものを問いただす思想的な試みであったようだ。だから、合理化の時代に対抗しようと必死だった。次第に実証されていく、有機農業の有効性に町の人々だけでなく首都圏からも援農に駆け付けた。農家の人々も、都会の消費者の気持ちに勇気づけられ、現在の高畠町では半数近くの農家が、有機農業か減農薬に取り組んでいる。減農薬とは、一回の除草剤の散布だけに押さえて、後は人手でまかなっていく取り組みである。都会の消費者との交流を大事にしがら、自分たちの試みを誇りにできる土壌を、ゆっくりとつくってきた。
以上にあげた内容が映画の大まかなあらすじである。この、映画に途中に16ミリのフィルムの場面がでてくる。この作品の監督が、助監督時代に関わったフィルムで、農薬の空中散布に無農薬の畑が被害を受けたという様子や空中散布に反対するための会議を重ねていく様子、農協に抗議文を提出ところなど、細かに撮影されていたがお蔵入りになったフィルムだそうだ。
撮影から20年たった今、もう一度有機農業を映画にしようとつくられた。昔のフィルムと、現在の様子が重なることで、時代の変化だけでなく、有機農業を続けていくということが20年の時間を通してゆっくりと体感できたきがした。映画作りをあきらめない。その姿勢をしかと受け止めたぞ!!農業と同じく息の長い映画作りも必要だと感じる。原村政樹監督の海女さんの映画も観てみたい!
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by barubuhutatabi | 2006-09-28 23:59 | 映画