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チェ・ゲバラを知らなかった私と、「汚れた血」を知っていた私

昨日、ポレポレ東中野でチェ・ゲバラのドキュメンタリー映画を観た。チェ・ゲバラの最初のゲリラに参加した生き証人や、チェ・ゲバラと交流があった人の証言によって構成された映画だ。証言者の年齢を考えると非常に貴重な記録になっていた。チェを小さい時から知っている老人や、側近の魅力ある、ユーモアのある、証言によって、あくまでも、チェ・ゲバラ伝説は補完されている。チェの宣伝映画とも呼べるような映画だが、正直言って感化されてしまった。と同時に、親友が信奉していた、チェをなんとなくしか知らず、親友の熱い気持ちも知らなかったのだと実感した。親友が南米に行ってきた時のことを、今度じっくり聞きたい。(しかし、彼はもう故郷に帰ってしまった。)少しの後悔をしての家路の途中で、TSUTAYAの半額キャンペーンもあって、「汚れた血」(レオス・カラックス監督)を借りて、数年ぶりに観た。この映画は、20歳で出会い、自分にとっての最高の映画だった。その当時は、こんな愛を語ってみたいというような映画であり、同時に、映像表現として私自身の意欲を、突き動かされた。久しぶりに観て、当時は、単なるささやき、ポエジーたっぷりのせりふにしか聞こえなかったのが、せりふに作者の意図がしっかりと感じられた。そして、なんてユーモアたっぷりの恋愛映画なんだろうと思った。最初に観た、崇高な恋愛映画ではなく、親しみのある恋愛映画に変わっていて驚いた。

たった、半日でこのような映画体験をした。翌日の今日、国立近代フィルムセンターで、ポーランドの短編特集を観て、映画を楽しんだ。その中の作品で、前回書いた「アマチュア」の作者、クシシュトフ・キェシトフスキが作った5分の短編を観た。その映画は、「汚れた血」の印象的なジュリエット・ビノシュ演じるヒロインとドニ・ラヴァン演じる主人公がバスで出会う、場面とそっくりであった。カラックスが、シネフィルだったことから推測すると、フランスの映画館で観たのかもしれない。しかし、カラックス自身のモチーフでまとめたと考えた方がファンの一人として、ありがたいのではあるが・・、いずれにしても映画とはそのような共体験を呼び起こすのかもしれない。

この二つの些細なことから、単純な教訓を受けた。要は、《知ったつもりは、良くない。》という教訓だ。当たり前だが、情報社会の中では、これは日々起こりうることだ。多くの情報は、人から聞いた話や、噂、テレビの受け売りなど、情報として精度が低いのだ。それに無意識でいると、情報の量によってのみ充足する社会になっていく。それを避けて、自分で判断するには、疑う心、というか懐疑精神が必要だろう。※懐疑論(客観的真理の認識可能性を疑い、断定的判断を原理的に差し控える態度)(広辞苑より)※
 今後の作品を見続けたかった、ドキュメンタリー映画の希有な作家、(先日亡くなった)佐藤真さんの「ドキュメンタリーは、批判的に世界を映し出す鏡である。」という言葉がある。批判的に世界を映し出す鏡はきっと、日々磨き続ける作業を要するだろう。些細なことのなかに、とぎすまされた懐疑精神が宿るのではないだろうかと私は感じてる。その懐疑精神とは、何より自分自身に強く向けられるからこそ、有効なのだろう。
 些細なことだからこそ、見えにくくなる物事への態度を、強く意識していたのが、真さんの言葉の根底にあるのかもしれないと、今は受け止めています。また、時が経つと、違った意味合いを帯びるのかもしれませんね。
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by barubuhutatabi | 2007-09-23 22:00