大浦信行のモンタージュ

四谷で大浦信行の映画を日本観た。
大浦信行は、美術家として荒川修作の助手としてNYに暮らしていた。その時に自画像を描こうと描いたのが「遠近を抱えて」と題した版画群である。昭和天皇の写真が、様々なイコンとごちゃませに配置されている。入れ墨した女体、原爆のキノコ雲、魚、ルネッサンス時代の絵、ありとあらゆるものの中に、昭和天皇というイコンがコラージュされ、見え隠れしている。大浦氏はあくまで自画像として提出したということだ。だが、富山近代美術館では売却され、図録470冊が焼却処分された。
この事件によって、目覚めたと大浦はいう。そして「日本心中」という映画にたどりついたという。
どういう経緯なのかは不明だが、よりアクチャルな表現手段として映画にたどり着いたようだ。「版画だと、自分一人の考えだけで進んでそこで解決したりするじゃないですか。でも、映画は複数の人が関わる分、同じ複製芸術でも自分の考えが、作る課程で鍛えられていくように思います。」
この映画は、針生一郎という美術批評家が書斎で、喫茶店で、韓国の旅路で、ほとんど独り語り(モノローグ)で戦後の美術、思想について語っている。その語りの前後に、針生一郎の韓国を旅する姿、韓国の街角の風景、そして話と関連性のない、大野一雄の舞踏、全裸で刺青を入れ込んでもらう女性、役者の少年少女の不思議な対話が挿入されていく。
この作品のカメラは、辻智彦さん。この方は、若松孝二監督の「十七歳の風景」、イアンケルコフ「シャボン玉エレジー」を撮影、編集もなさっています。辻さんのカメラがこの映画の魅力を引き出していると思った。まったく関連性のない描写なのだが、引き込まれてしまう画面構成を観ながら、針生一郎の留まることのない独り語りに耳を傾ける。一見すると無制限な構成だが、上記のシーンだけでなく現代美術の重要な作家へのインタビューが出てくることによって、日本美術、アジアの美術へと話は導かれていく。
 たとえば韓国の光州事で捕まった美術家が水攻めの拷問を受け、出所後描いた作品は素朴な絵画だが宗教画のような絵だった。「水攻めされる自分はもう人間としての意識が欠落してくる、水攻めしている若い警察の顔も、人間の顔ではなかった。」ある種の達観した意識が彼の絵を描かせているようだった。
この映画は、大浦氏の独特な世界の解釈によって招かれた、時間と空間(全身に刺青を入れ続ける美女、不思議な対話を続ける少年少女と中年の男女、大野一雄、天皇のコラージュ画・・)のなかにアジア、韓国、日本、美術、天皇・・・・様々なイメージが想起され、針生一郎語りのようにダンディに、時には眠気を誘い、時にはエロティックにうねり続けている。

針生一郎について(制作ノート抜粋)
戦前は「日本ロマン派」の保田輿重郎(民族主義の色合いが濃く、復古主義的であった。日本帝国主義のアジア侵略における思想的支柱として援用されもした。)に心酔した。戦後はベンヤミンへの傾倒のもと、ダダイズム、シュールレアリズムの理論を手がかりに、権力が造り上げた構造的暴力としての「生者の歴史」ではない、もう一つの「神話性」と「古代性」、「呪術性」に裏打ちされた民衆のエネルギーの結集によって造り上げられる歴史の概念による、横の拡がりをもった「死者の歴史」の視点に立って、この日本社会の制度を変革しようと試みている。戦後は天皇を維持している体制も批判している。現在81歳

制作意図(制作ノートから抜粋)
このドキュメンタリーは、近代日本の闇と夢を体内に宿しながら、「増殖」と「生成」を繰り返し、未来に向かって新たな地平を切り開いていく「言霊」としての「血の色をした針生一郎」を通しての「触覚日本論」である。(大浦信行)

この映画は、大浦氏の針生一郎の言葉への直接行動(規範・制度を無視して、自己の意思を直ちに達しようとする行動・・革命を志す行為とも言えるだろう)だと思う。現代美術への危機感と、針生氏の生の寿命を考えてのこともあるかもしれない。

現在、「日本心中 9.11-8.15」という新作がポレポレ東中野で上映してます。9.11以後の日本美術の根拠を探る映画だそうです。
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# by barubuhutatabi | 2006-10-28 12:35

黒木和雄のPR映画の手法

映画美学校の公開講義を受けた。黒木和雄のPR映画の時代というのは、金があったんだなあーとびっくりした。
「海壁」では、水中カメラ、空撮をこれでもかという具合である。模型に直接チョークで書き込んで、工程をおおざっぱに説明してしまうあたりが、時代を感じさせる。後は、今でも通用する画質(35ミリ)と空撮と水中カメラ、崖の爆破シーンなど、実に細やかに、実に劇的に火力発電所の工事を描いていた。
「恋の羊は海いっぱい」では、ミュージカル仕立てのシーンではカラフルな全身タイツのダンサーがくるくると回転しているカットと織物が織られていくところを構成主義的に見せていく。高速で糸が通過していくショットや、織物の柄への素早いズームインなど、すぐれたカットが多かった。
「わが愛北海道」では、空撮を多用しながら北海道の風景を見せていく。(後の、「飛べない沈黙」と似たような白樺の林の風景もでてきた)アランレネの「24時間の情事」のように、女性と風土(広島のようなもの)を重ねて語っている。車からの移動ショットや、撮影当時の北海道の風景が美しい。
「10ドル旅行」これは、松川八洲雄監督の脚本で、おちゃらけたトヨタのPR映画であった。アメリカの少女がでてきて、日本を縦断していく。(この女が縦断するというモチーフが多い気がするが?)
「あるマラソンランナーの記録」
PR映画で人間を描くということのタブーへの挑戦、フィルムの端尺を集めてまでして映画を完成してきた。富士フイルムがスポンサーで東京オリンピックの選手を記録することを依頼された。スポンサーを押し切っての製作は、クライアントのいくつかの要求を与しながらも、完成した。終盤の君原選手の走っている時の呼吸と顔のクローズアップによって、マラソンというスポーツを強く印象づけた。
「僕のいる街」
この作品は、昭和天皇が崩御した時に皇居前、銀座の街を撮影している。戦時下の銀座の写真をカメラの動きで実に生き生きと描く。現在の銀座の風景は時が止まったかのように、凍り付いてしまったかのように描いている。「僕は、あの日あそこにぶら下がっていた」というナレーションが、被災した廃墟の写真のなかの電線にぶらさがった傘にカメラはズームしてく。言葉と映像とが鮮やかに編集されている。なぜ、銀座を壊したアメリカを日本は受け入れているのかという怒りのナレーションが入る。

黒木監督のPR映画の「海壁」にしても、「わが愛北海道」にしても、ナレーションが映画の基調としてしっかりとある。劇映画の中では、モノローグによって「飛べない沈黙」「日本の悪霊」では絶妙なモンタージュを形成していた。
「日本の悪霊」は偶然、うり二つのヤクザと刑事(同じ俳優)が出くわし、ヤクザの妻と(妻も他人とは知らずに)寝た間抜けな刑事を脅して、刑事になりすますというところからこの物語が始まる。そして、ヤクザが自分が学生時代に起した殺人事件について調べ始めうる。学生時代に、殺人事件を指揮し、自分も信じ込んだ主犯の男はどうしたのか・・結局は、今では廃人のようになっていた。
この映画の公開当時、学生運動が下火になってきて、あの熱中した時代は何だったのかという気運が高まっていたようで、学生たちに熱狂的に支持された映画だそうだ。自分が関わった事件が何であったのかにこだわるヤクザに、当時の学生は自分を重ねたのだろう。途中から、刑事とヤクザがどちらが登場しているのかわからなくなるような構成になっている。その誰なのかがあやふやなまま女と寝るシーンがある、女は「あんは、あんただよ。あんたが100人いたら、うれしいな、100人全員愛しちゃう。」とおかしなことをいう。もう、過去が何であるか、自分が何であるかなど解決が付かなくなっていく。そして、最後にカメラの前に(同じ役者だが、)刑事とヤクザが現れ(特撮で同じ俳優が二人出てくる)、ふたりで刀をもって全裸で突進していく。
結局、この最後にこの映画は映画の虚構性そのものをぶち壊したかったのかーと感じた。学生闘争という物語の虚構性ともいえると思う。虚構性を壊すだけなら、簡単なことだが、どう壊すかということに苦心したことだろう。

全編通して毒の効いた、かの有名なフォクシンガー岡林信康の唄がはさまれる。この映画に登場してくる岡林をみていると、社会のブルジョアジーを非難して唄い、最後には学生運動の虚構性すらも茶化す曲をうたっていたことに驚く。この、岡林の唄を差し挟むことで、次第に映画自体に隙間ができてくる。観客は次第に、岡林が唄う時代の空気感を感じる、次第に映画の虚構性の崩壊を許容していくのだと思う。岡林という人物がもつ、映画の虚構からはみ出てしまう時代の臭いに映画は支えられ、最後に映画の虚構という呪縛を壊すのだろう。
ゴダールの「ワンプラス・ワン」を途中までしか観てないが、近しい印象を持たせた。

最後の「私たちの望むものは」という曲は、いい曲だ。。

 
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# by barubuhutatabi | 2006-10-28 10:53 | 映画

OUT OF PLACE

 この映画は、エドワード・サイードの「OUT OF PLACE」という著書をもとに構想された。この映画は、パレスナ出身のエドワードが遠いアメリカで生きて考えたことがつづられているそうだ。(まだ読んでないので・・)佐藤真監督は、9.11以降について映画で言及できないだろうか思案していたそうだ。シグロの山上徹二郎さんからのすすめでサイードにインタビューをして、ドキュメンタリーが作れないかというところからこの企画がスタートしたそうだ。しかし、サイードは2005年に亡くなってしまう。ここから、映画を出発せざるをえなくなってしまった。
 佐藤真は若くして亡くなった写真家・牛腸茂雄の映画を撮っている。写真というものが持つ世界を映画という世界で語ろうとした。牛腸茂雄が撮りためていた16ミリを用いながら、ナレーションで牛腸茂雄の手紙が読まれる。写真と映画を通じて、記憶そのものをモチーフにしたのではないだろうか。期せずして、牛腸茂雄で試みた記憶というものを足がかりにせざるをえなくなったのが本作品だと、佐藤さんは語っている。
 僕が、この映画の独自性を感じるのは佐藤さんがパレスチナという場所を考えるということだ。
僕たち日本人が、パレスチナという場所を語るのと、パレスチナ出身のサイードが語るのとでは違うと思う。しかし、ある部分で共通性がある。サイードも、佐藤さんも、パレスチナでの悲劇の当事者ではないのだ。しかし、そこに道徳的なものが働くからこそ「OUT OF PLACE」をサイードに書かせたのだ。
 中世の哲学者が考えた「道徳の遠近感」という概念があるそうだ。今、自分がいる部屋で人が殺されそうな時に、きっと僕は止めに入る。しかし、1キロ先の殺人は止められるか?いや、予想すらできない。事後的に知る以外にない。地球の裏側では?もう、どうすることもできない。
道徳には遠近感があるじゃないか?
 それを、打ち壊したのが本、新聞、テレビなどのメディアだろう。今ではより多様である。しかし、このご時世道徳の遠近感がなくなりグローバルの世界の事情を考えられるようになったのだろうか?情報が流れていってるだけではないのか?
 映画のプロパガンダとして感情移入させて人を、道徳的にも扇動しようと思えばたやすいことだろう。しかし、そういったものは多くのドキュメンタリー作家の優れた作品によって否定され、観客も否定してきた。では、いかなる作品が可能なのか?その答えのヒントがこの作品にはあるのと思う。「ルート181」のように、ユダヤ人とパレスチナ人の当事者が描くアプローチとは別のやり方があるのではないか?
 映画というモンタージュの発見は、終わったのではない。現実によってモンタージュも更新されていくのだ。サイードの昔の別荘、サイードの父親が撮った8ミリフィルム、サイードの書斎、今では物置に等しいコロンビア大学の研究室とパレスチナの難民キャンプに住む大家族の中での日常の空気、コーヒーを煎りながら「冬の寒さ、においが好きだ」という男性、声が出ないパレスチナ難民の老人の身振り手振りの会話、料理を囲みながらの団欒、決して平和とは言えない中での暮らし、これらがモンタージュされていくのだ。そして作者の人格、ルーツ、思想、そういったものが見え隠れしている。
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# by barubuhutatabi | 2006-10-28 10:12 | 映画

メキシコドキュメンタリー映画

~メキシコのドキュメンタリーの映画祭について数作品の報告~
「僕は・・」(SOY)
ハンガリーの脳性麻痺の人が自らの体を元に、小さい時からの脳性麻痺を克服していく教育プログラムをつくった。そのプログラムが、メキシコに持ち込まれた。そのプログラムを実践してきた少年少女を中心にしたドキュメンタリー映像である。彼らが日々実践しているプログラムを中心に紹介している。この映画は、狂信的にそのプログラムを忠実に追っていて、なんの躊躇も感じさせない構成になっていた。彼ら、彼女らが詩を書いて、普通の高校に行って読み上げるシーンにしても、何の躊躇もなく賞賛されている様子しか映っていない。それが、ドキュメンタリーといえるのかと思った。特にナレーションがないのだが、一方通行の見せ方になっていてかなり戸惑った。

「メキシコ女性刑務所/塀の中の物語」
RELATOS DESDE EL ENCIERRO
ハリスコ州プエンテ・グランデ女性刑務所にカメラが潜入した。この映画の特徴は、イメージ映像として囚人たちが檻の中で悲しい顔をしている映像が差し込まれたり、不穏な音が随所に差し込まれる。それ以外のシーンは、オーソドックスにインタビューを中心に構成されている。女性たちのそれぞれの、生い立ちや行き場のない思いをカメラを前に話す。年をとって行くことへの恐怖、家族から見放されること、鬱病の克服、刑務所の中の人間関係などが赤裸々に語られる。彼女たちは、自分という自我と刑務所という法によって二重に拘束されている。たとえ希望を今日語ったとしても、長い拘束時間の中で消えてしまう。彼女たちの話の中で見え隠れする不安そのものが、この刑務所を表している。だけど、自我の変化について少しでも語ることができる人たちは確かにいる。語ることが自分という硬直した檻を溶解していくことなのかもしれない。
監督のインタビューでの質問が絶妙なのだと思う。何気ない質問が、彼女たちをそれぞれ理解しているから出てくる質問なのだろう。何ヶ月にも渡っての取材を行ったそうだ。

「黒い牛」
TORO NEGRO
ユカタン半島に住む23歳のフェルナンド・パチェコ、地元の闘牛士として賞賛をえるべく、牛めがけて突進していく毎日だ。日本の感覚では、完全にずれてしまうほどの生活環境の違いがある。家出少年のネグロは、興行主の中年の女性と同棲している。その中年の女性には子供が二人いる。ネグロは、アル中であり、10代は薬漬けの日々だったそうだ。彼ら若い闘牛士が繰り広げる闘牛は酷い。酒を飲み女装して闘牛をしたりと、見せ物としての闘牛をやっている。とにかく、ネグロは酒を飲んではトラブルを起こす。ついには、中年の女性まで殴ってしまう。彼は、自分を抑制することを知らない。カメラは、殴り続けるネグロを止めずに回している。ついに、中年の女性から監督にネグロを止めてくれと言う言葉が出た。相当な信頼関係でこの撮影は築かれているようだ。中盤のシーンは、ネグロが中年の女性と喧嘩を繰り返して行く。追い出されそうになってものネグロは、居座り続ける。撮影スタッフとネグロの関係でこの映画はできている。喧嘩の最中でも、カメラは劇映画のように構図を恣意的にきめている。ネグロは実家に10年ぶりに顔を出す。実の母親になじられる。最後は母として怒気を含みながら、彼を励ます言葉を投げかける。殴られながらもネグロを追い出そうとしていた興行主の女性のお腹にネグロの子供がいる。奇跡的に生まれてきたカワイイ女の子がこの映画のラストを飾る。和解したのかネグロと興行主は再び一緒に住んでいるようだ。ラストカットはネグロがビールを飲みながら闘牛ヘ立ち向かう様子だ。この映画の途中は、ミュージックビデオを観ているかのような編集と音楽が差し込まれる。この映画はネグロという問題児を許容しながら、メキシコの風土をつややかに写している。

メキシコの魂を唄った男/ホセ・アルフレド・ヒメス
LA VIDEO NO VALE NADA
この映画は、メキシコが生んだ偉大な歌手であり作曲家だ。楽器も弾かなければ、音符も読めなかった。しかし、詩を書き鼻歌を歌って曲作りをしてきた。この映画は、ホセの音楽と、写真と映画の中のホセが映像の中心になっている。インタビューは、メキシコ文学者、妻、娘、息子、甥、作曲家、歌手、若いミュージシャンで構成されている。それぞれのインタビューを小分けにして、テーマごとに何度も出てくる構成になっている。さっきは違うテーマで話していた人が、同じインタビューの中で、違う主題にも触れている。そのことが、観ている側に折り重なるようにテーマが見えてくる。一つのテーマは、もう一つのテーマと無関係ではない。話とはそのように構築されていて、構成されるとちりばめられ、映画の中で統合される。オーソドックスな手法だが、亡くなった人を描く上では有効な手段だと思った。
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# by barubuhutatabi | 2006-10-20 21:12 | 映画

出草之歌・・・古の戦いの歌、そして現代への怒りの歌へ

アップリンクで映画「出草之歌」(しゅっそうのうた)を観た。台湾に住む原住民(以後ネイティブ)の人たちが、靖国に祖先が合祀されていることへの取り下げを要求するために来日していた。それがこの映画のスタートである。彼らは、台湾では40万人という少数の集団だ。彼らは、中国に何度も侵略され土地を奪われてきた、次に日本の植民地化にあう。皇民化教育を受け、義勇軍として日本軍の前線に送られた。戦死したあげくに勝手に合祀されたというわけだ。今回の訴えは、ネイティブの若い世代が自分たちのルーツをたどる中で、問題として取り上げた。さんざんひどい目に遭ったのだから、祖先の魂を勝手に祀るなという思いも当然あるだろう。
ネイティブの顔を見ると、東南アジアの顔に近い、なかには中国系の顔の人もいる。日本の街を歩いていてよく目にする顔のタイプもある。日本人のルーツの顔だ、と驚いた。部族出身の台湾の立法委員の女性、高金素梅さんは本当に美しい。
ネイティブは本当に歌がうまい。文字を持たない民族で、歌をうたうことで伝承してきた。まさに、日本のアイヌ民族のようだ。映画の中で、部族の歌を歌うグループがいる。彼らがウズベキスタンの音楽祭に行くシーンを観て思ったのは、この民族には歌という強烈な手段を受け継いできたのだと。年配のご老人すら、歌詞の意味がわからないほど古い歌もうたう。意味がわからなくてもこれほど、豊かな感情を歌にのせられる。
台湾のテレビでは、政治家が「原住民は南米へ移住すればいい」と言っている。
高金素梅さんが台湾各地、NY、日本で台湾のネイティブの現状の悲惨さを訴えている。ラストでは、靖国神社の神官に面会しようとするが、断られる。境内では警官や、右翼にじゃまされた時、彼らは歌をうたった。高金さんを囲んでみんなで歌った。周りでは警官が叫んでいる。それでも彼らはひたすら古の祖先から受け継いだ歌を歌う。

大阪地裁では、合祀撤回の訴えは棄却された。
高金さんは、癌のキャリアがある。もうすでに、訴え続けて10回近い来日をしている。

この映画を観て、ナショナリズムをしっかりと批判できるだけの勉強が必要だと感じた。いずれは事実、現場での実感を通してナショナルな問題を考えたい。
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# by barubuhutatabi | 2006-10-07 00:50 | 映画

パレスチナという国ではなく、略奪された場所について

ポレポレ東中野で、「ルート181」を観た。パレスチナ人の監督と、イスラエル人の監督が共同で監督、編集した作品だ。四時間半の映画には二回の休憩があり、僕は二回目の休憩で映画が終わったと思って帰りそうになってしまった。映画はSouth,Center,Northと三部で構成されている。
 この映画を観る前に、岩波新書からでている広河隆一さんの「パレスチナ」を読んでいたのでイスラエルの非人道的な背景を知って観ることができた。より複雑な背景を知るには、より多くの文献にふれなければいけないと思うが、問題意識を持つとということでは良い入門書であった。
 この映画の数ヶ月前に、「ガーダ・パレスチナの詩」という映画を観た。その中で、パレスチナ難民の人々が日々の生活で抑圧されながらも明るい表情で生きようとしている姿を見た。古居みずえさんのカメラからは、素朴な生活の中の喜びに共感し、それを抑圧することへの怒りがにじみ出ていた。
 僕は、それまでイスラエルという国について全く知識がなく。中東戦争についても、歴史の教科書で、数行の文章での知識しかなかった。「ガーダ」によって、土地を奪われる人々を目の当たりにした。この現在の侵略国家が国際的に認められているということの恐ろしさを実感した。アメリカの古くなった武器を、途上国に売りさばき、パレスチナを抑圧してきたことを、実績にとして武器を売ると同時に、どうやって国民を抑圧していくかをも教える。というような話が「パレスチナ」にはかかれている。宝石を、武器と交換でアフリカから大量に輸入して、日本に売りさばく。ダイヤモンド消費国日本は、間接的にアフリカの戦争に関わっている。こうした複雑な、矛盾を飲み込んだ場所がパレスチナという場所である。今は植民国家、イスラエルが全てを破壊して何食わぬ顔でいる。最近の1980年代に、この国家は、パレスチナの人々に対して大量虐殺を行っている。日本も含めた国際社会は、そのときどう対応したのだろうか?
 帰りそうになったのは、うっかりしていただけである。映画の内容は、ロードムヴィーの形式をとりながら、様々な場所を訪れて、様々な風景とそこに暮らす人々に問いかけていく。この映画は、ゆっくりと車窓からの風景を見せながら、時には唐突に道を聞くと同時にインタビューしていく。イスラエル建国記念館のような施設や、貯水博物館?のような施設(治水こそ、国を治める上で大事であるから。略奪された資源の一つといえる)に訪れる人、その施設の人に、話を聞いていく。時には、荒れた土地で測量している若者に、「ここは昔アラビア語で・・・という村があったんだよ。知ってた?」と聞く。アラブ系ユダヤ人(と思われる)青年は「最高にダサイね。」と言って興味を示さない。「僕たちは、メンタリティは西欧に近い。」と言い切る。
一方、イスラエルでゲットーと呼ばれる地区を訪れて、同じ国籍でありながら差別を受け続けている人々の話にも耳を傾ける。遺跡を発掘する、人々のボスはイスラエル人で、現場作業員はパレスチナの人々だ。こういった様々な様相を、ロードムヴィーという速度で観ると、イスラエルに横たわっている不可解なものが少しずつ見えてくる。

 季刊「前夜」別冊でルート181が特集されている。その中で、イスラエルの監督は「イスラエルでは、記憶そのものが忘却のプロセスなのです。」と言っている。強烈なイデオロギー国家として、神話的要素と歴史的要素(ユダヤの神話の世界と、アウシュビッツの歴史)を融合させて、この地を略奪したことを正当化する。
 さて、この話は遠い中東の話で終わるのだろうか?国家として日本を観たときに他人事でいられるだろうか?このご時世からすると、そうはいかないだろう。
学校では、アウシュビッツでユダヤ人が殺されたことしか教わらない。しかし、シオニズムというユダヤ人の思想は20世紀の初頭に生まれ、戦後にパレスチナという場所にて実践された。アウシュビッツという悲劇を端緒にして、ユダヤ国家をつくろうとして入植と呼ばれる、植民地化がパレスチナで始まった。国際社会、特にアメリカ、イギリスとの関係が深いイスラエルは堂々と虐殺を行ってきたと言える。そして、日本人の多くははその歴史を知らないくとも平和にアメリカに守られてきたといえる・・ 
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# by barubuhutatabi | 2006-09-30 12:07 | 映画

山形ドキュメンタリードリームショー  ポレポレ東中野にて

「Justice」という映画を観た。ブラジル社会の小さい犯罪を扱う裁判、拘置所、裁判官の日常、公選弁護人の日常、犯罪者の家族の日常に、カメラはごく自然にまなざしを向ける。ブルーがかった裁判の部屋、一辺10メートルの牢獄に40人近い収容部屋、町の交差点で車ガ停車している間に、ジャグリングを披露して小銭をせびる少年と少女、執行猶予付きで釈放された少年が拘置所から一人帰る、ある裁判官が最高裁の裁判官に抜擢される、その裁判官の担当だった容疑者のギャングの最終判決を、新米の裁判官が書類だけで判断して判決を言い渡す、裁判を半年待ったギャングが懲役三年の判決を受ける、そのギャングには子供が生まれた、家族は泣き崩れる。
 ブラジル社会の底辺の拘置所での面会場面は、本当に狭い部屋ニぎゅうぎゅう詰めで面会していた。裁判所では、小さい部屋で、裁判官と検察官と公選弁護人、証言者などが小さい犯罪を前に、淡々と裁判を繰り広げていく。カメラは、落ち着いた構図で物事の経緯を見つめている。一番印象的だったのは、薬の密売で執行猶予付きで保釈サレタ少年が一人で高架下を歩いて帰る後ろ姿と、バスを待つ裸足がとても印象に残った。全ては社会的な構造は放置されたまま、ジャスティスという名の周辺で起きている日常にすぎないのかもしれないと感じた。
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# by barubuhutatabi | 2006-09-29 00:27 | 映画

映画をあきらめない

 代々木のオリンピック青少年総合センターで、有機農業に関する映画を観た。タイトルは「いのちを耕す人々」映画の舞台は山形県高畠町だ。ここの有機農業は、農家であり、詩人でもある星寛治さんを中心に早くから試みられてきた。1970年代初頭の米の生産をあげるために化学肥料や農薬の散布が全国的に展開されていた頃に、非効率的な有機農業を志したのである。人体への影響を懸念するだけで始めたのではなく、農業そのものを問いただす思想的な試みであったようだ。だから、合理化の時代に対抗しようと必死だった。次第に実証されていく、有機農業の有効性に町の人々だけでなく首都圏からも援農に駆け付けた。農家の人々も、都会の消費者の気持ちに勇気づけられ、現在の高畠町では半数近くの農家が、有機農業か減農薬に取り組んでいる。減農薬とは、一回の除草剤の散布だけに押さえて、後は人手でまかなっていく取り組みである。都会の消費者との交流を大事にしがら、自分たちの試みを誇りにできる土壌を、ゆっくりとつくってきた。
以上にあげた内容が映画の大まかなあらすじである。この、映画に途中に16ミリのフィルムの場面がでてくる。この作品の監督が、助監督時代に関わったフィルムで、農薬の空中散布に無農薬の畑が被害を受けたという様子や空中散布に反対するための会議を重ねていく様子、農協に抗議文を提出ところなど、細かに撮影されていたがお蔵入りになったフィルムだそうだ。
撮影から20年たった今、もう一度有機農業を映画にしようとつくられた。昔のフィルムと、現在の様子が重なることで、時代の変化だけでなく、有機農業を続けていくということが20年の時間を通してゆっくりと体感できたきがした。映画作りをあきらめない。その姿勢をしかと受け止めたぞ!!農業と同じく息の長い映画作りも必要だと感じる。原村政樹監督の海女さんの映画も観てみたい!
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# by barubuhutatabi | 2006-09-28 23:59 | 映画