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OUT OF PLACE

 この映画は、エドワード・サイードの「OUT OF PLACE」という著書をもとに構想された。この映画は、パレスナ出身のエドワードが遠いアメリカで生きて考えたことがつづられているそうだ。(まだ読んでないので・・)佐藤真監督は、9.11以降について映画で言及できないだろうか思案していたそうだ。シグロの山上徹二郎さんからのすすめでサイードにインタビューをして、ドキュメンタリーが作れないかというところからこの企画がスタートしたそうだ。しかし、サイードは2005年に亡くなってしまう。ここから、映画を出発せざるをえなくなってしまった。
 佐藤真は若くして亡くなった写真家・牛腸茂雄の映画を撮っている。写真というものが持つ世界を映画という世界で語ろうとした。牛腸茂雄が撮りためていた16ミリを用いながら、ナレーションで牛腸茂雄の手紙が読まれる。写真と映画を通じて、記憶そのものをモチーフにしたのではないだろうか。期せずして、牛腸茂雄で試みた記憶というものを足がかりにせざるをえなくなったのが本作品だと、佐藤さんは語っている。
 僕が、この映画の独自性を感じるのは佐藤さんがパレスチナという場所を考えるということだ。
僕たち日本人が、パレスチナという場所を語るのと、パレスチナ出身のサイードが語るのとでは違うと思う。しかし、ある部分で共通性がある。サイードも、佐藤さんも、パレスチナでの悲劇の当事者ではないのだ。しかし、そこに道徳的なものが働くからこそ「OUT OF PLACE」をサイードに書かせたのだ。
 中世の哲学者が考えた「道徳の遠近感」という概念があるそうだ。今、自分がいる部屋で人が殺されそうな時に、きっと僕は止めに入る。しかし、1キロ先の殺人は止められるか?いや、予想すらできない。事後的に知る以外にない。地球の裏側では?もう、どうすることもできない。
道徳には遠近感があるじゃないか?
 それを、打ち壊したのが本、新聞、テレビなどのメディアだろう。今ではより多様である。しかし、このご時世道徳の遠近感がなくなりグローバルの世界の事情を考えられるようになったのだろうか?情報が流れていってるだけではないのか?
 映画のプロパガンダとして感情移入させて人を、道徳的にも扇動しようと思えばたやすいことだろう。しかし、そういったものは多くのドキュメンタリー作家の優れた作品によって否定され、観客も否定してきた。では、いかなる作品が可能なのか?その答えのヒントがこの作品にはあるのと思う。「ルート181」のように、ユダヤ人とパレスチナ人の当事者が描くアプローチとは別のやり方があるのではないか?
 映画というモンタージュの発見は、終わったのではない。現実によってモンタージュも更新されていくのだ。サイードの昔の別荘、サイードの父親が撮った8ミリフィルム、サイードの書斎、今では物置に等しいコロンビア大学の研究室とパレスチナの難民キャンプに住む大家族の中での日常の空気、コーヒーを煎りながら「冬の寒さ、においが好きだ」という男性、声が出ないパレスチナ難民の老人の身振り手振りの会話、料理を囲みながらの団欒、決して平和とは言えない中での暮らし、これらがモンタージュされていくのだ。そして作者の人格、ルーツ、思想、そういったものが見え隠れしている。
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by barubuhutatabi | 2006-10-28 10:12 | 映画